法華経と申すは隨自意と申して仏の御心(みこころ)をとかせ給う。
仏の御心はよき心なるゆえに、たとい、しらざる人も此の経をよみたてまつれば利益(りやく)はかりなし。
麻の中のよもぎ・つつ(筒)の中のくちなわ(蛇)・よき人にむつぶ(睦)もの、
なにとなけれども心もふるまい(振舞)も言(ことば)も、なお(直)しくなるなり。
法華経もかくのごとし。
なにとなけれどもこの経を信じぬる人をば仏のよき物とおぼすなり。
(1 57歳 2 弘安元年 3 身延 4 1611頁)
法華経というお経は、随自意といって仏のお心を説かれたものである。仏のお心は良きお心であるので、たとえ深く意味がわからなくても、法華経を読めば利益(りやく)は限りなく得られるのである。ちょうど麻の畠の中に生じた貨のように、また筒の中へ入った蛇が自然にまっすぐになるように、良き人と仲良くなると何とはなしに心も行ないも言葉づかいまで、素直に良くなっていくようなものである。法華経もこれと同じで、何とはなしにこの経を信ずる人を、仏は自然と良きものになると思うのである。