現在の大難を思いつづくるにもなみだ、未来の成仏を思うて喜ぶにもなみだせきあえず。
鳥と虫とはな(鳴)けどもなみだおちず。日蓮はなかねどもなみだひまなし。
此のなみだ世間の事には非ず。ただ偏(ひとえ)に法華経の故(ゆえ)なり。
若ししからば甘露(かんろ)のなみだとも云(いい)つべし。
(1 52歳 2 文永10年 3 佐渡一谷 4 728頁)
現在の大難を思いながらも涙、未来の成仏を思って喜ぶにも涙がとめどもない状態である。鳥と虫とは鳴いても涙を落とさないけれど、日蓮は泣かないが涙は乾くひまがないほどである。この涙は世間一般の私情で流しているのではなく、ただひとえに法華経のためであるから、甘露の涙ともいえるであろう。