30歳になった時、勤めていた会社を辞めてインド放浪の旅に出た。
六年半のサラリーマン生活、繁忙期は残業100時間を超える月が続き、自分の目的を見失った時、インドというカオスに救いを求めた。
たどり着いたオールドデリーの安ホテルで眠りから目覚めた時、途轍もない開放が魂に降り注いだ。今日から僕は自由だ!そしてここは明るい光に満ち溢れた浄土だと。
今思えば、人は人生の中で極楽浄土を見るのかもしれない。葛藤に満ちた自らの煩悩の中で、生きることの本当の意味を悟ることができる。煩悩即菩提 生死即涅槃、そして娑婆即寂光が釈尊最期の法華経の教えだから。
「浄土と云い穢土と云い土に二つの隔てなし」穢土の衆生は釈迦を仰ぎ、極楽浄土の衆生は阿弥陀如来を見る。「豈に伽耶を離れて別に常寂を求めんや。寂光の外に別に娑婆あるに非ず」誰もがそれを感見することを、「無作三身の覚体現れ常寂光土現前せん」と先師は教えてくれている。