日蓮大聖人御降誕800年の嘉辰にあたり、去る2月16日の聖日に発刊された、作家佐藤賢一著の「日蓮」を読ませて頂いた。日蓮聖人伝は今まで何冊か読んでいるが、小説というものは初めてであったので、その臨場感に興味深く一気に読了した。
清澄山の旭ケ森に登る息遣いの描写から、立教開宗、持仏堂に於ける初転法輪と活き活きと描かれている。そして鎌倉に出て北条幕府のお膝元で当時の仏教各派の批判と、釈尊の真意である法華経帰依の必要性を獅子吼して被った大難四か度をご遺文の現代訳を交え、分かりやすく書かれていると感心した。
小説であるが故、西明寺入道こと前の執権北条時頼や平の左衛門尉頼綱、檀越である四条金吾頼基らがリアリティをもって登場してくるのである。さらに小説は「立正安国論」の奏進による文永八年の龍ノ口の法難と佐渡流罪、更にご赦免による鎌倉での三度目の幕府諌暁と身延への入山と描かれている。
そして、最後は立正安国論に予言された最初の元寇である文永の役(1274年)の惨状と、来るべき二度目の弘安の役(1281年)を断言される場面で終わるのである。
まだその続きを読みたい気もするが、作家の佐藤賢一氏にその続きを期待するのは酷であるとも感じるのである。というのも、日蓮聖人半生の小説の最後の場面は、身延山のご草庵で弟子たちへのご説法であった。
「かくのごとく国が乱れたときに、聖人上行菩薩が現れ、本門の三法門を建立するのです。あなた方は、それを正しく会得しなさい。さすれば、一四天、四海一同に妙法蓮華経の広宣流布されるは、もはや疑いないでしょう」との大聖人のお言葉に続き、それではそろそろ始めましょうか、
「本日は法華経における本尊について」というお言葉で余韻を残して結ばれるのである。
まさにここで云う「本門の本尊」については、御降誕800年日蓮宗の歴史の中で、身延の地で語られた日蓮大聖人の御真意を、末代の日蓮門下が正しく領解しなければならないと思うのである。