90日間インド一周 ~新たな自分との出逢いの旅~

 現在、島根県浜田市にある日蓮宗龍泉寺の住職を務めている私は、福岡県北九州市のお寺の三男として生まれ、都内の大学を卒業後、東京の会社に就職し20代は会社員としてサラリーマンの生活を送りました。10月で30歳を迎える年の4月に会社を辞める決意をし、9月一杯で円満退社。アパートの荷物を整理し、一人旅の準備をして10月24日にインドに向かって旅立ったのです。

プロローグ~私は20代の終わりに、2つのインドの小話を聞きました~

「すべては神である」

 昔、インドの村に非常に求道心の強い若者がいた。ある日、その男のいた近くの村に、大変有名なバラモンのグルがやって来た。そのバラモンの説法を聞くことができると、男は喜んで出かけた。そのバラモンの説法の核心は、「すべては神である」ということであった。

 

 男はそのバラモンの説法にすっかり満足した。そして、彼はその場を離れ自分の住む村へ帰ろうと歩いていると、何やら騒動が始まった。大勢の村人が顔色を変え、叫びながらこちらの方に走ってくるのである。村人たちに事情を聞こうとして、彼らの指さす方を見ると、狂った象が砂煙をあげてこちらへ突進してくるのが見えた。

 

 「すべては神である」彼はその時、そう呟いた。そして、多くの人々が彼の手を引き静止するのに耳も貸さず振りほどき、彼は狂象に向かって歩き出したのである。両手を広げ、「すべては神である」と彼は繰り返しながら進んでいった。そしてその若者は狂象に踏みつぶされてしまった。

 

 騒ぎが治まり、重傷を負いながらも、辛くも一命を取り留めた男は、手当をしてくれている回りの人たちに向かって、先のバラモンの悪口を散々言った。「あれは覚者でも何でもない」「あのグルの言うことはでたらめだ」などと。

 

 そんな時、若者を介抱しながら一人の老人が呟いた。「あの時、あなたの手を引いて逃げなさいと言ったのも、神だったのですよ」と。

 

 

 

 

「起こることは全て素晴らしい」

 昔、インドのある国に、「起こることはすべて素晴らしい」と、いつも口癖のように言う大臣がいた。その国の王は、その大臣を取り立て良く国を治めていた。しかし、他の大臣達にとっては面白くなく、何時かおとしめようと企んでいた。

 

 ある日、王が些細なことで指先を切ってしまった。そのことに対し、他の大臣達はこれは大変とばかり大げさに騒いで心配し王に対して、あの大臣は「素晴らしい」などと言っていますよと告げ口をした。普段から気の短い王は、その言葉に怒り、いつも側近に置いていたその大臣を牢に入れ、会おうともしなかった。

 

 そしてその日、王は1人で狩りに出かけた。森の中へ入って行った時、王は人喰いの風習をもつ一族に襲われて囚われの身となってしまった。そして、いよいよ生贄の儀式が始まり、王の心臓に槍が突き付けられようとした時、その一族の司祭は、王の指に傷があることに気がついた。その一族の風習では、体に傷のある者を生贄に捧げると神の怒りに触れるのである。その為生贄の儀式は中止され、王は難を逃れて帰ってくることが出来た。

 

 王はさっそく、かの大臣の所に行き、牢から出し自分の行為が間違っていたことを謝罪した。なぜなら指の傷が王の命を救ったからである。ところが、逆に大臣は王の話をきいてから、こう言ったのである。

 

 「いいえ王様、どうもありがとうございました。私がこの牢に閉じ込められていなければ、私は王様と一緒に狩りに出てともに捕えられ、体に何の傷もない私は、今頃生贄として彼らに食べられていたことでしょう。」と