1988年1月13日(水) コナーラク5日目

ポカラで買った本
ポカラで買った本

 いつものように1日が始まる。トーストとオムレツの朝食の後、今日は読書の1日とする。ネパールのポカラで買ったこの本の残り70ページ余りを読み終える。1日ベンチにゆったり座り、じっくり読むことが出来た。途中いつもの茶店に行ってプーリーやスイートやサモサを食べたり、昼はもう一度寺院へ行って散歩したりする。

 

 今日は本に浸ったせいか、茶店について入って来たガイドという男と話をしてもあまり言葉が出てこない。正直言って答えるのが面倒くさくなる。“vacant”とか“empty”とか訳のわからぬ事を言ってあまり相手にしない。店の若者は何故か判ってくれている感じで笑って聞いている。

 

 クリシュナ・ジーの言葉は「何か」を気付かせてくれる。それは自分の中にあったもののような感じがする。ただそのことに気付かずにいたのだけれど―。それだけに彼の言葉が無視できなくなる。彼自身は特に学問というものを「勉強」したわけではない。話している時に、または誰かの質問に対して「それ」が出てくるのだという。だから「それ」は知識を言葉にしているのではない。

 

 とかく人は詰め込んだ知識を自分の「考え」として人に話す。しかし彼は「考え」は過去をその拠り所とし、今を消してしまうという。ゆえに“thought”は“intelligence”とは異なるのであると。大いなる知性は沈黙、そして頭が“empty”になった時に訪れるのだと。

 

 今日はいい日だ。