1987年11月24日(火) コルカタ3日目

〈in the morning〉

 

 今日は日本を出て丁度1ヶ月目。あっという間にインド・ネパールのひと月が過ぎてしまった。そして今夜母を含む一行がカルカッタへ到着する予定である。これから10日間は少々忙しく動き回り、デリーまで仏蹟巡礼の旅。しかし、旅の宿や切符はすべて任せておけばよいのだから、そういう面では楽できるでしょう。

 

 昨日(2日目)はカルカッタでの1日。午前中洗濯をしてから、この大きな街へ出て歩き出す。1人で歩きだせば、もう人ごみの中へ溶け込んでゆく感じ。北の方へ歩いて行きフーグリー河にかかるハウラ―橋へと向かう。大きな橋は対岸を結ぶ動脈。満員のバス、トラック、タクシーなど自動車が両方向列をなしクラクションをならす。歩道は頭に重い荷物をのせた男や女が急ぎ足で歩く。そして、橋の上に果物や雑貨を並べた行商がズラリと並ぶ。

 

 橋の下に見えるガ―トでは人々が沐浴している。手すりにもたれ、そんな風景を眺めていると、少女が男2人に荷物を抱え上げてもらい頭にのせる。かなり重そう。そして体をしならせながら人波の中を歩きだす。でも表情は明るい。

 

フーグリー河渡船画像検索より
フーグリー河渡船画像検索より

 橋の中ほどで1ルピー出しバナナ3本買い対岸へ。そして渡し舟の乗り場へ行く。途中地下鉄の乗り場もあったが、やはり舟に乗ることにし40パイサでチケットを買い舟にのりこむ。河には風情のある舟がいくつも浮かび、両岸の街と鉄橋の眺めは印象的。いわゆる外人ツーリストは僕も含めて1人もいないという感じ。フッと気付くとそんな風に歩いている。宿に帰りシャワーを浴び、翌日にそなえジーパンほか全部洗たく。ベンチに座り本を読み体をやすめる。

 

 夕食は同室の学生2人とレストランへ。あまりおすすめでない夕食をとる。帰って来て朝、手作りラーメンをご馳走になった人の部屋をのぞいてみる。夕食は1ルピー75パイサで買ってきた1キロ程のジャガイモを3人で食べたらしい。和田さんは食事をそういう風に作りマスターと呼ばれている。1人は竹を削って尺八をつくっている人。そしてもう1人は禅宗の本物のお坊さん。3人がそれぞれユニークな旅をし、今はここでくつろいでいる。

 

 そして屋上で夜空を眺めながら、尺八・竹フルート・インディアンマンドリンで皆が思い思いに演奏しセッション。僕も竹のフルートや小さな尺八を吹いて勝手に音をだす。そんな夜を過ごしいつの間にか23時を過ぎていた。ハッシッシを吸わずして完全に「舞い上がって」しまったようだ。

 

〈in the evening〉

 

 24日と思い込み、午前中荷物をまとめだしてもう一度手帳をみると、一行のインド到着は25日の19:35。カルカッタの1日が突然おまけ。特に行きたい所があるわけでもないが、街の真ん中のホテルにいても仕方ないのでいつものように午前中の散歩に出かける。

 

ヴィクトリア記念館
ヴィクトリア記念館

 今日は南の方へ歩いて行き、最初にヴィクトリアメモリアルの大理石の建物を見つけ行ってみる。広大な緑の公園の中に建つ宮殿の中は絵画(ほとんど肖像画)等の陳列がしてある。公園のベンチで休み、カーリーガートめざして歩く。途中でスナックなどかじりながらかなり歩き、それらしき寺院にたどりつく。

川沿いのガート
川沿いのガート

 市電を何度か乗り換えてサダルストリートの近くまで戻り、ホテルでシャワーを浴び少々休むいつものパターン。今日はかなり歩き、戻ったのは16:00頃。昼間、来訪者のあったことをきく。カトマンドゥから今日ついた彼とモダンロッジの2人を加え夕食をとる。どうも都会にいると何かしていないと落ち着けないようだ。それにドミトリーだから、他人の行動も少なからずかかわってくるのは仕方ないかも。