1987年12月28日(月) コーチンにて

 コーチンの日の出は6:40。はるか彼方に山が見え、その大地から陽が昇る。ホテルの屋上に上がってみるとそこで寝ている従業員(というのか)がいる。8時にリクシャーでシーロード・ジェティーという船着場に行くと、観光船は9:30出発。まだ誰も来ていない。脇の広場にできたサーカスのテントなどのぞく。

 

 そのうちツーリストがやってきだすが、皆チケットなるものを持っている様子。イギリス人のカップルに聞くと、インド人の紳士がチケットのことを知っていると教えてくれる。彼に聞くと8つのシートをとってあるが3つ余分になっているから、君はゲストだと握手してくれる。

 

 名刺をもらい見てみるとデリーのお医者さん。奥さんとたくましい息子と一緒で、彼はデリーの大学の学生で飛び込み競技のナショナルチャンピオンとのこと。自慢の息子だ。来年は韓国でのオリンピックに行き日本へも立ち寄ると言っていた。彼は京都に行きたいらしい。イギリス人の方は、そのコーチだと言っていた。

 

観光船の乗って
観光船の乗って

 その5人に便乗させてもらい、船で3時間の名所めぐり。ダッチハウス、ユダヤ教会、バスコ・ダ・ガマの安置された教会、チャイニーズ・フィッシングネット、ヤシの敷物工場、そしてパレスホテルと少々忙しく回るが一通り名所を見学できる。パレスホテルは島一つがホテルの敷地になった静かなところで、インドに単身来てガスのパイプラインを建設しているという日本の男性が、冬休みの家族を呼び休暇を過ごしていた。

 

 工場見学はヤシの繊維を使い織機で敷物を織っている。手で経糸を上下させ荿を通して挟んでゆき、大きなハサミで飛び出た部分を切ってゆく。5~8時間でひとつ出来上がるという。一日に一枚といったところ。出入り口におくマットレスで一枚55ルピーくらいであった。

 

チャイニーズ・フィッシングネット
チャイニーズ・フィッシングネット

 結局18ルピーのチケット代は受け取ってもらえず、お礼を言って桟橋で別れ、サーカスを見に行く。テレビで世界のサーカスなど見ているため、エキサイティングとは言えないがなかなかインタレスティング。出し物が次々出てきて趣向をこらしている。合間に小人2人が子供の笑いを誘う。しかし全体的にみんな静かに見ている感じ。

 

 3時半くらいにテントを出て歩いてバスターミナルまで戻り、明日のバスを確認。朝7時から1時間おきに出ているようだ。かなり遅めの昼食はホテルのレストランでチャイニーズ・チョップ・ソイとかいうかた焼きそばでなかなか美味。そんなわけで夕食は夜の10時頃、バススタンド近くの屋台で簡単にとる。

 

 コーチンでの1日の観光を終え、明日はトリヴァンドラム・カニャークマリまでバスの旅。水郷とヤシの木と太陽は楽しみにしていた風景である。