1987年12月7日(月) 列車Dadar Exp.にて

画像検索より
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 12/4の夜から今日まで3泊4日をアショカさんの自宅で過ごす。せっかくの好意であるし、少々長居をしてしまったがお世話になったしまった。しかし、アショカさんはなんで早々と出発するのかと不満そうな感じ。結局自分でジャンシ―までの列車の切符を手配し、少しあわただしく送ってもらって出てきた。そうしなければ、あと2日3日の滞在は覚悟せねばならない。

 

 食事と昼寝とチャーイ(お茶)、まあいたれりつくせりだけれども、人の世話になり続けるのも少々窮屈なもの。インドの人の世話好きなのも、たまには良いけど急ぐ旅には要注意。今回は充分体を休めたし、奥さんの家庭料理をいろいろ食べさせてもらって、インドの上流にあたる生活も見せてもらったので大変勉強になった。

 

 テラスから下を見れば全く別の階層の人々の貧しいバラックの「家」がある。そんなアンバランスが当然の社会。それを認めさせるのがカーストの存在であろう。近所には立派な家が次々と建てられている。

 

 アショカ氏の長女ベティは3歳のやんちゃな女の子。お父さんに似て気性は荒く時には少々こわくなる程。彼女は貧困を知らず、食べたい物を食べ、欲しいものを与えられて大きくなる。裕福な生活、家と車とカラーテレビにビデオ、etc.でもアショカ氏の欲しいものは「お金」。家族の為、娘の為、体の動く限り働き、お金を蓄え「ねばならない」のである。そこに見えるのは、日本のサラリーマンの生活と同じであった。

 

 この列車はam5:50にジャンシ―に着く。はじめはサンチ―まで行くつもりであったが、切符の方がここまでしか寝台がない。そんなわけで急きょ予定変更、カジュラホーへ行くことにした。どうやらカジュラホーの彫刻が僕を呼んでいるようだ。