今は笹塚のアパートの部屋の中。買ってきた静かな笛のテープをかけノートを開く。
早朝、成田に着きスカイライナーで上野へ。東京があまりに静かで整然としているのに奇妙さを感じる。あのカルカッタから東京へ、その違いは思っていたより大きい。新宿から笹塚に着き、ゴミひとつなく掃除されている住宅街を抜けアパートの鍵を開ける。部屋は出た時のまま。置時計が地震で床に落ちているだけ。そこに入った時“やさしさ”を感じる。ずっと待っていてくれていたような。
コンビニで買ってきたブルマン入りのコーヒー豆をメーカーにセットし、溜まった郵便物を見る。川畑さん親子から手紙が来ている。二人の筆跡がよく似ているのがうれしい。そして何枚かの年賀状。大学時代の友人は子供を抱えたり、新婚旅行の写真を添えたり等々…。そして北九州の実家に無事帰ったことを伝える。父と母がでる。そして明日にも帰って来いとのこと。長い間心配はかけたし当然だなと思う。
カルカッタからの飛行機は佐藤亜紀さんと一緒。彼女は友人より先に日本へ戻るのだが、最後に体調を崩してしまったという。友人はかなり心配で空港まで見送り、あと1ヶ月インドの写真を撮るという。空港でその方が「ゴアへ行きましたか?」と聞き「叶佳樹に逢いましたか?」と突然たずねる。ゴアのコルヴァビーチに1週間いたとき、1日だけアンジェナビーチに行き半日を一緒に過ごした人である。僕はあの日、叶さんに逢うために半日かけてアンジェナまで行ったようなものだ。その叶さんの友人で佐藤さんは踊りの演出家であると紹介され、日本まで同行をよろしく頼まれる。ダンスシンフォニーのパンフレットをもらい、それには作・演出・出演に佐藤亜紀と印刷されている。
日本へ着き別れるまで、ずっとインドでの体験や感じたことを話しながら、とてもいい旅ができる。彼女はそんな肩書をよそに、とてもかわいく子供っぽいしゃべり方をする。でも彼女の中には“何か”を表現する大きなエネルギーが常にある。目黒のプラットホームで見えなくなるまで手を振ってくれる。そんな佐藤さんが印象的だ。彼女のニューヨーク滞在の話も、とても興味深いものであった。そして2週間のインドでたくさんのことを吸収してきたようだ。
「日本へ帰って来て得度をして僧侶になる」これからの自分はどんな人生を送るのでしょう。実家のお寺に下宿され僕を1歳の時から知る川畑さんは、そんな新たなスタートにその現実の厳しさを踏まえ手紙を書いてくれる。
3ヶ月のインドの旅を終えた今、自分の中に将来に対する不安はない。言葉で表現できない“何か”がインドという「ひとつの体験」の中で自分の中に芽生えている。それがどんな花を咲かせ実を結ぶのかは知らない。
“起こることは全て素晴らしい”
そして
“すべては神である”
そのことを今一度自分の中で繰り返す
1988年1月20日 笹塚のアパートにて