茨木市大手町に住んでいた中井ふささんは、夫の長二郎さんと共に夫婦仲も至って睦まじく暮らしていましたが、三十三歳のとき脊髄カリエスにとりつかれました。諸方の医者にもかかり、良いというあらゆる療法をも試みましたが、病状ははかばかしくなく、あせればあせるほどかえって悪化するのでした。
明るかった家庭がたちまち暗くなってしまいました。熱は下がらず食事はすすまず日夜にさいなまれる患部の苦痛に、夜通し苦しむことも幾日かつづきました。でも、主人の長二郎さんはふささんの看病にかって嫌な顔を一度も見せたことなく、妻の苦しみをわが苦しみと感ずるごとくねんごろな介抱をつづけました。
病人は永い病床の苦痛に堪えかねて、すまないと思いながらも、つい当たり散らすこともありましたが、長二郎さんは決して逆らうことはありませんでした。逆らわなければこそふささんは更にすまないと思うのでした。
病状は少しも快方に向かわず、ついに三年となりました。ギブスに入って身動きもならず、すべて主人の手をわずらわさねばならないつらさ、心苦しさ…。殊にいつ癒ゆるともわからないばかりか、次第にむしばまれていく身の行く末を思うと、絶望感が暗雲のように心の中にひろがるのをどうすることも出来ませんでした。
永い病人を少しでも快適にしてやろうと、わざわざ高いベッドを入れて妻を寝かせ夜ともなれば、その傍らの床に自分で寝床を敷いて休み、昼のつかれもいとわず、夜の看護にもつくしてくれる夫長二郎さんの、まどろむ寝顔を、ある夜しみじみベッドの上から見おろしてふささんは思うのでした。
「三十三の厄年で背負うたこの難病、すでに病床にあること三年、主人には物質的にも、精神的にも苦労のかけどうしだった。それに悪化すればとて、少しも良い方へは向かっていかないこの病状、たとえ癒ゆることがあったとしても、もとの体になれそうにも思えない。してみれば変わらぬ看病をしてくれる主人に、私が一日生きれば、一日余計に苦労をかけることとなる。私が亡きものになりさえすれば、それだけでも主人の重荷が軽くなり、更に健康な人を後添えに迎えれば、主人も明るく幸いになるに相違ない…」
今までの変わらぬ主人のねんごろな温かい心を思えば思うほどに、病妻をかかえた主人の不幸が気の毒でなりませんでした。
然しギブスに入って仰臥(ぎょうが)している身では、毒薬を手に入れることもならず、縄を求めることもなりません。死のうとして死ぬこともならず泣きながら、フト手にふれた枕覆いの手ぬぐいをとると、トッサにその手ぬぐいで我とわが首に巻き、昼のつかれで何ごとも知らず眠っている主人の寝顔に、最後の挨拶をし
「お父さん、幸せになって下さいね」
と心で念じつつ、渾身の力をこめてグッと締め上げました。覚悟の上のことでしたが断末魔に無意識で発した異様のうめき声に、驚いてハネ起きた夫の長二郎さんは、やにわにふささんの手ぬぐいの手をふり払うと、大声で叱りました。
「なんということをするのだ…。俺の看護が不足でか。俺の介抱が不満だからか。出来る
かぎりのことはしているつもりなのに…。俺の心がお前にわかってもらえなかったのか…」
男泣きに泣きながら叱る主人、叱りながらもしっかり自分の手を握っていてくれている夫の情けが身にしみて、ふささんはワッと声をあげて泣き出しました。
「あなたの親切がわかればこそ、病の身がすまなくて、すまなくて…」
こみあげる涙に声がつまって出ませんでした。
「わかってくれるなら、死ぬことよりも生きることを考えてくれ。お前が死ねばいいなどとただの一度も思ったことはない。幾年寝ていてもいい。お前が生きていてさえくれれば、看病するくらいのことはなんでもない。お前の分も俺が働くから決して心配しないでくれよ」
あたたかい愛情とまごころに、ふささんは更に激しく泣かされました。
このことがあって間もなく、主人の長二郎さんが隣家の懇意な虎谷書店のご主人に相談したところ、この虎谷さんが法華経の信者であったので、知り合いの法華寺の耳原さんを紹介してくだされ、この耳原さんがこれからしばしば中井ふささんの病床を訪れ、法の手引きをすることとなり、この法縁でふささんはじめ長二郎さんも熱心な法華経の信仰をすることとなったのであります。
~病気というものは身の病であると共に心の病であること。医療の最善をつくして身の病をなおすように努めると共に、心の病をいやすよう努力すれば、身の病もすみやかに除くことが出来るということ。その心の病をいやすには「是好良薬」と説かれてある法華経が最上の良薬であること。法華経の良薬を身にしみこませるには、日蓮大聖人のお示しのとおり一心にお題目を唱えることである~等々くり返しくり返し教えこまれたふささんは、初めは半信半疑でしたが、次第に心の目が開けて、お題目を進んで唱えるようになりました。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱えることはたやすいことでありながら、唱えていれば不思議に心が明るくなり、身の苦痛が軽くなるように感じました。それにお題目で救われた幾多の人の実例をきくほどに、不思議な功験が、自分の身にもわかるようになり、次第に熱心に唱えつづけました。病気をなおしたい一念で唱えるお題目が、それから毎日つづきました。
しかし三年有余にわたる永い身動きのならない病床生活とて、なかなかはかばかしくないのも当然です。なおりたいの一念で唱えていて、はかばかしくなければつい疑念も起り、心のゆるみも出がちです。こうしたある日、唱えつかれてまどろむと、フト眼の前に、何やらわからぬ人かげが現われたではありませんか。いぶかしく思ってよくよく見ると、それは日蓮大聖人さまのお姿でありました。驚き恐れるふささんをジッと見すえられると
「信じがたき法華経なれば、疑いを起すのも余儀ないが、いま退転しては救われぬ。経文には一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜しまず、とある。身をも命をも忘れて一心にお題目を唱えることだ。必ず感応がある。救いがある…」
と言葉はげしく示されました。ふささんは全身の総毛が逆立つほどの恐れにふるえ上ってしまいました。と同時に病気なおしのためのみに唱えていた至らぬ自分のお題目が、激しく反省され、身命を惜しまず唱えてこそ、ほんとうのお題目であることをはっきり知り、大聖人さまのお姿に手を合せると、それこそ必死になって唱えました。と一瞬、自分の体がスーッと宙に浮いたと思ったら、次の瞬間、ドサリと投げつけられ、ハッと我にかえってみたら、自分がベッドの上から転げ落ちたのでした。
夢だったのです。眠っていてベッドから落ちたのでした。いくら呼んでも誰もいないらしく来てくれません。ややあって止むなくベッドのふちにつかまって自分で這い上がろうとすると、どうでしょう、腰が立ったではありませんか。力を入れると足も立ちました。三年間、全く身動き一つ出来ず、寝返りにさえ人手をかりねばならなかった身が、いまたてたのです。この奇跡、この喜び!これこそ大聖人さまのお救い、お題目の功徳と、ふささんは湧き上がる感動に、大声で泣きながらお題目を唱えつつ、壁を、柱を支えにして部屋の中を、ふるえる足をふみしめながら歩き回りました。
異様なお題目の声に気づいて、家の中に駆けこみ、この霊験をまのあたりみた長二郎さんの驚きと感激はたとえようもありませんでした。夫婦相擁して泣きながらお題目を唱えつづけたのであります。
この日から薄紙をはぐように快方に向かいました。やがて自分の身の回りのことや、家庭内の小さいことも出来るようになり、暗い夜が漸く明けてきた思いがしました。
あくる年、身延山参拝の団体募集があることを知ったふささんは、さっそく参加を申出ました。然しご主人の長二郎さんは、これには強く反対しました。まだ静養中であること、それに重いものさえ持たせないようにしている虚弱な身で、遠い身延山に旅して、もし途中で倒れでもしたら取返しがつかなくなるし、団体一行の皆さまにもご迷惑をかけることとなるというのです。もっともな心配です。しかしふささんは自分の難病をなおすことの出来た法華経のお山、日蓮大聖人さまの魂をとどめられるといわれた身延山へは、何としても、お詣りしたく、止むに止まれぬ気持ちから、一生一度の御願いとご主人に無理な許しを乞うて出かけました。
道中も何のさわりもなく、西谷の御草庵、祖廟をはじめ、身延山内をくまなく巡拝し、更に奥の院思親閣から七面山まで往詣しました。生涯再び起てないと思った身が、お題目の不思議な力で再び起てて、はるばる身延山の土をふむことの出来たこの喜び―。妙法の功力の大きさ、不思議さを今さらに身に知って感泣しつつお詣りを無事にすませて帰りました。喜び迎えた長二郎さんの感激もただならぬものがありました。
日蓮聖人は曾谷入道殿御返事の中で
「南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心(かんじん)たるのみならず、法華経の心なり、体なり」
と云われています。法華経は一切経の中の根本であり、南無妙法蓮華経は法華経の心でありますから、南無妙法蓮華経は釈尊一代の教えである一切経の肝心であり、法華経の心であり、本体であるわけであります。
南無妙法蓮華経の南無とは梵語の音訳で、帰命すること、帰依することであります。妙法蓮華経にまごころこめて一緒になることです。
法華経の神力品において釈尊は、本化の弟子である上行菩薩等に、この妙法蓮華経の五字を別に付嘱(ふぞく)され
「我が滅度の後に於いて斯(こ)の経を受持(じゅじ)すべし。是の人仏道に於て決定して疑いあることなし」
と説かれました。この妙法を受持すれば、必ず成仏するというのであります。
受持とは受け持(たも)つことでありますが、信じ受け、念じ持(たも)つと云われるように、この妙法の有りがたいことを聞いて、すなおな気持で信じ受けとり、それを常に忘れないように心に持(たも)ちつづけることを受持するというのであります。日蓮聖人は四条金吾殿御返事に
「受くるはやすく、持(たも)つはかたし、さる間成仏は持(たも)つにあり」
と云われて持(たも)ちつづけるけることこそ成仏への道であることを強く教えられています。
それでは妙法を受持すれば、どうして成仏することが出来るのでしょう。法華経は一切経の肝心(かんじん)で、その法華経の魂(たましい)は妙法蓮華経の五字であります。この妙法五字は釈尊のおさとりそのものであります。永い間の御修行の積みかさねの結果、漸く得られたさとりの功徳でありますから、妙法蓮華経には釈尊の修行も功徳もすべて具わっています。日蓮聖人は観心本尊抄の中に
「釈尊の因行果徳(いんぎょうかとく)の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば自然(じねん)に彼(か)の因果の功徳を譲り与え給ふ」
と云われています。私たちがこの妙法五字を受持するならば、それに具(そな)わっている釈尊のつまれた原因としての修行も、また結果としての功徳も、すべて私たちにゆずり与えられる~私たちが自分のものとすることが出来るからであります。
たとえば医者のくすりは、永い時代を経て大勢の学者が研究をして、つくり上げたものであります。いま私たちは医者を信頼して、そのくすりを飲めば、薬理の研究をしないでも、またその化学方程式など全く知らなくても、病気をなおすことが出来るではありませんか。そのくすりに、研究者の努力や薬理がふくまれているから、医者を信じて服用しさえすれば、たやすく全快することが出来るのです。
これと全く同様です。釈尊が苦心して修行し(行)、漸く得られたおさとり(功徳)が妙法五字にすべて具わっているのですから、すなおに私たちが日蓮聖人を信頼してその教える通り、妙法五字を受け持(たも)つならば、釈尊の積まれた因としての行も、果としての徳も、自然に譲り与えられるのです。
さてそれでは受持するとはどうゆうことかと申しますと、信じ受け念じ持(たも)つことであることは既に述べましたが、その受持とは、実は身と口と意(こころ)に受け持つことであるのであります。
意(こころ)に妙法を受持するとは、念じ持つことでありますから、忘れたり、怠けたり、退転したりすることなく、常に念じつづけることであり、口に妙法を受持するとは「南無妙法蓮華経々々々々々々々…」と口に唱えつづけることであります。身に妙法を受持するとは、形にあらわすということで、本尊に正しく端座(たんざ)し合掌して、お題目を唱えることですが、更に常に大聖人さまに倣(なら)うように行動することです。法華経の教えをきいて、それをつねにおこないにあらわすよう努力することであります。
これでおわかりのことと思いますが、だから「私は拝まないけれども、法華経を信じている」などと云っている人がありますが、心で信じているだけで、口にも唱えず身にもあらわさなかったら、日蓮聖人の教えられた法華経の信じ方には、まだ至っていない、と云わなければなりません。これでは諸天善神の守護をうけたり、人生を明るく楽しく、生甲斐のあるものに仕上げることはむずかしいでしょう。
日蓮聖人が上野尼御前御返事の中で
「法華経と申すは、手にとれば其の手やがて仏に成り、口に唱うれば、其の口則ち仏なり」
と云われているように、釈尊のおさとりそのものであればこそ、これを受け持つことによって人々は想像を絶するいろいろの功験を得ているのであります。
ここに揚げた中井ふささんのように。奇跡とも云うほどの、霊体験をした人は古来数えきれないほどあり、現在も実に多いです。妙法蓮華経の妙とは不可思議に名ずくと注釈されているように、凡慮(ぼんりょ)を絶した功徳力がこの五字にふくまれているのです。このお題目で不幸のドン底から立ち上った人、医者に見放された重病人にしてこのお題目で起死回生した人、絶望の淵に沈みながら美事に浮き上った人たちの何と多いことか。神秘の霊力がこのお題目にそなわっているからです。
だからこそお題目を唱える人が、いよいよ多くなっているのです。自分のためだけでなく人の幸いを念じつつ、人々にもすすめて南無妙法蓮華経を、声高らかに唱えましょう。そしてこれからの人生を一層明るく、楽しく、幸いなものとするよう努めましょう。
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