二十七日 三業受持(さんごうじゅじ)

土籠御書(つちろうごしょ)にいわく

 日蓮は明日佐渡の国へまかるなり。

 

 今夜(こよい)のさむきに付(つけ)ても、

 

 ろう(牢)のうちのありさま、思いやられていたわしくこそ候え。

 

 あわれ殿は、法華経一部を色心(しきしん)二法(にほう)ともにあそばしたる御身(おんみ)なれば、

 

 父母六親(ふぼろくしん)一切衆生をもたすけ給うべき御身なり。

 

 法華経の余人(よにん)のよみ候は、口ばかりことば(言)ばかりはよめども心はよまず。

 

 心はよめども身によまず。色心二法ともにあそばされたるこそ貴(とうと)く候え。

 

(1 50歳 2 文永8年 3 依知 4 509頁)

 

 

三業「日蓮宗事典」抜粋より

 梵語tri ̄ni karma ̄niの訳で業に三種の別があることをいう。(1)身業(ka ̄ya-karma)・口業(va ̄k-k)・意業(ma ̄nas-k)。身・口・意の所作をいう。

色心「日蓮宗事典」抜粋より

 色法と心法。色法は変壊・質礙の意、即ち形を有し、生成し変化する物質現象を指す。狭くは眼根の対象たる色境であるが、広くは眼・耳・鼻・舌・身の五根と色・声・香・味・触の五境と無表(外面に表れない潜在性)とを兼ねる。心法は意根の対象たる法境、または意根・法境を指し、要するに精神作用である。万物を分析的に考えるときは色と心とに分けるが、大乗仏教は一般に心を以て色を統括して色心不二を立てる。