それ、信心と申すも別にはこれなく候(そうろう)。
妻のおとこ(夫)をおしむがごとく、おとこの妻に命をすつるがごとく、
親の子をすてざるがごとく、子の母にはなれざるがごとくに、
法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に信を入れ奉りて、
南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを信心とは申し候なり。
(1 59歳 2 弘安3年 3 身延 4 1749頁)