2022年の8月にハワイのホノルル妙法寺をお参りした。その折に旅行用に表装した「第一の本尊」を本堂の真ん中に掲げお自我偈を読みお題目を唱えた。なんとお釈迦様のご真骨があるその本堂には同じ「第一の本尊」が本堂の左側に掲げられていた。
2023年の11月にブッダガヤの大菩提寺で唱題行をする為、菩提樹の前に「第一の本尊」を掲げた。そして帰国前日にはホテルの部屋で朝まで「第一の本尊」を掲げお題目を唱えた。
2月にブッダガヤの日曜学校を訪問した際、サルナートの法輪寺の本堂に「第一の本尊」を掲げ本堂の大太鼓を叩いてお題目を唱えた。そして何故か法輪寺の仏舎利塔にその本尊を忘れ、翌日サルナートに朝珍しく雨が降った。
サルナートからブッダガヤに行き、日曜学校に建設中のホテルと礼拝所の地鎮式をする為に、「第一の本尊」を敷地の中央に掲げ、法華経と南無妙法蓮華経のお題目を捧げた。
この「第一の本尊」は不思議な現証を起こすようである。
2月27日より羽田空港に向かい、28日午前10時35分発のANAデリー行きでインドに入った。今回は今年11月の「龍泉寺インド団参」の下見を兼ね、寺庭婦人が大学卒業後4年間デリーにホームステイさせて頂いた時にお世話になった2つのファミリーの方々に、夫婦で20年ぶりに会うためにデリーに2泊した。
昨日は閏年の29日、4年に一度の貴重な日がたいへん素晴らしい一日となった。それぞれのお宅でお昼と夜のインド家庭料理を頂き、特にホームステイしたグプタ家の方とは20年間連絡が取れていなかったので、ご高齢のお母さんをはじめ、みんながハッピーなった。
今日はデリーから国内線でベナレスに向かい、サルナートの日蓮宗の日月山初転法輪寺をお参りして、2日はブッダガヤに向かう。
去る11月6日、公開中の正倉院展拝観の為に奈良の東大寺を訪れた。午前中に大仏殿に参拝し、次にお参りしたのが、長らくの修復から公開された東大寺戒壇堂である。残念なことに撮影は禁止であったが、中央の多宝塔そして四隅の四天王は貴重な遺構である。
この後昼食をとり、午後1時30分からの予約のチケットで奈良国立博物館の正倉院展に入場し、あの戒壇堂で鑑真から授戒された聖武天皇の九条の袈裟など、貴重な宝物を眼にする機会を得ることが出来た。
昨日9月5日は、明治2年9月4日に京都で刺客の襲われ傷を負いながらも一命を取り留めたが、2か月後の11月5日に大阪の病院でその生涯を閉じた大村益次郎こと村田蔵六の故郷、山口の鋳銭司のお墓をお参りし、大村神社と鋳銭司郷土館を訪ねた。
龍泉寺入寺後の平成7年1月より始めた毎月1回の法華経講義は、「序品第一」から「普賢菩薩勧発品第二十八」までの28章を三回繰り返し、今年3月を以て最終講とさせて頂いた。手探りで始めた講義の為に作成したテキストは、このホームページに「法華経を学ぶ」として掲載することが出来たのは講義に参加して頂いた皆さんのお陰であると感謝している。
さて、令和5年度4月から何を始めるか悩んだ末、やはり日蓮大聖人におすがりしてタイトルを「ご遺文に学ぶ」とした。大聖人の残された、たくさんのご遺文を読むに当たり第1回目の今日は、毎日朝勤で拝読している妙行日課から入っていこうと思っている。
準備の為に拝読した「松野殿御消息」というお手紙の結びのお言葉に心が躍った。
『妙覚の山に走り登りて四方をきっと見るならば、あら面白や法界寂光土にして瑠璃を以て地とし、金(こがね)の縄を以て八つの道を界(さか)えり。天より四種の花ふり、虚空に音楽聞こえて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、娯楽快楽し給うぞや。我等も其の数に列なりて遊戯し楽しむべき事、はや近づけり。信心弱くしては、かかる目出たき所に行くべからず。不審の事をば尚々承るべく候。穴賢穴賢。建治二年丙子 十二月九日 日蓮花押』
けわしき山
あしき道
つえをつきむれば
たおれず
コロナ禍にあって身延山久遠寺参詣も久しく
今月19日から21日の間、一大事の要件のため単身登詣した
出発前々日に兼ねて思わしくなかった両足が固まり歩行困難となった
普通であれば旅行を中止するのが成り行きであるが
この度は自身の思いが三障四魔を超えたようである
お題目を杖に石見空港から羽田空港
長い距離の移動と坂道を上り一日8000歩
総本山の5:30からの朝勤に参加、御廟所をお参りし
今回の目的である第一の本尊の表装と
その御本尊に関わった加藤清正公の祈願札作成の打ち合わせを終え
無事浜田に戻ってきた
今日は親戚一同と先代日圭上人の第三十三回忌の法要を務めご報告申し上げた
合掌
1日を迎え龍泉寺では月例の盛運祈願会を行っている
午後2時よりお参りの皆さんと法華経を読みお題目を唱え月守りを交換する
「今月のみおしえ」を一緒に学び今月の祈りと誓いを新たにする
しかし今日はお寺の住職として大変悲しいことに一人の総代さんが来ない
長いあいだ龍泉寺を支えて下さり去る7月25日に霊山浄土へ旅立たれた
その方は7月は1日にお参りし18日は清正公祈願法要に参詣
20日はご両親の月忌供養でご自宅に伺いお勤めをした
24日は満月の日で住職が仏堂開眼法要に出かけた折
娘さんの車に送られ自慢の服を着て一人で龍泉寺にお参りしたとのことである
突然の訃報に枕経からお通夜お葬儀そして龍泉寺の本堂での初七日法要を済ませた
翌朝28日の朝5時過ぎに境内に出ると西の空に向かって月をかすめた飛行機雲が
朝日に染まり龍の如くインドの霊鷲山にむかって飛翔していたのである
合掌
今年の梅雨明けを前に、島根県では出雲市を中心に冠水被害が多発している
数年前は浜田市でもお寺の前のアンダーパスが水没したくさんのご心配を頂いた
どうか人命被害が無いことを祈るばかりである
昨日の第2日曜日はお寺で「法華経を学ぶ」の勉強会であった
檀家さん8名の参加を頂き法華経の「分別功徳品第17」を一緒に読んだ
住職になって勉強会を始めてから27年、ようやく法華経の本当の姿が見えてきた
お話をする為に小林一郎先生の「法華経大講座」から始まり
素晴らしい書籍に出逢いながら導かれてきたが、このコロナ禍で
九州大学出身の植木雅俊先生の何冊かの本に出会えたのである
先生は中村元先生の下でサンスクリットを始めパーリ語等の言語を極められ
法華経の原本から鳩摩羅什訳の妙法蓮華経や日蓮聖人の理解の素晴らしさに言及されている
これから法華経が釈尊の説かれた教えの総括であることを多くの方に伝えたいと思う
南無妙法蓮華経
気が付けば5月も残り3日である
例年より1ヶ月程早い梅雨入りとなり
うれしい梅雨の晴れ間となった
最近では島根県でもコロナの感染が続いている
1日も早い世界での終息を願うばかりである
日蓮宗では毎月28日は「いのりの日」
龍泉寺では夜7時から1時間の唱題行を行う
本堂の大曼荼羅御本尊の前に座り心を静め
一心に南無妙法蓮華経のお題目を唱える
そして最後に我が菩薩行の誓いとみんなの幸福を祈る
今から65年前の1956年10月14日、インドの真ん中ナグプールでアンベトカール菩薩が約50万人の人々と共にヒンズー教から地涌の菩薩として仏教に改宗しました。永い間の差別から立ち上り生命の尊厳を取り戻したのです。アンベトカール博士亡きあと、そのインド仏教再興運動を引き継いだのが、日本人僧である佐々井秀嶺上人です。現在85歳で50年以上インドで活動し今や一億人を超える仏教徒の最高指導者です。
その佐々井上人の活動の一つが、ナグプール近郊のマルセルにあるとされるインド大乗仏教の祖、龍樹菩薩の遺跡「南天鉄塔」の発掘なのです。この地方は法華経提婆達多品の娑竭羅龍王の竜宮の舞台でもあります。
日蓮大聖人は流罪の地である佐渡で書かれた「開目鈔」に
「善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云く、(のうまくさんまだ・おん・ああーあんあく・さるばぼだきのう・さきしゅびや・ぎゃぎゃのうばば・そたらん・じゃく・うん・ばん・こく・ばさら・あらきしやまん・うん・そわか)この真言は南天竺の鉄塔の中の法華経の真言なり。…南無の二字おけり。南無妙法蓮華経これなり。」
とお示しになっています。
佐々井上人は何宗でもありませんがお題目との深い縁を感じます。お題目は宗派や宗教そして言葉の次元を超えたものなのです。
佐々井秀嶺上人を支援する南天会のホームページ www.nantenkai.org
今年は昨日12月21日に冬至に入ったようである。
今日から一日一日と陽は長くなり春の彼岸を越え6月21日が夏至である。
コロナ禍も太陽の光増長によって徐々に退散し
太陽の最も盛んな夏至には沈静化することを望むばかりである。
日蓮大聖人は弘安4年(1281)5月15日(旧暦の夏至の日)身延のご草庵で
大曼荼羅御本尊を顕され御真筆の大曼荼羅の讃文に唯一「第一之本尊也」と記されている。
この日は2度目の蒙古来襲(弘安の役)の1週間前。
法華経有縁の国でありながら謗法熾なる大日本国を救わんがため
諸天昼夜 常為法故 而衛護 大日本国
と書かれたのであろうと推察される
後世の我々の為に大聖人が魂を込めて染筆された大曼荼羅御本尊を
蒙古調伏の為の「大日本国衛護の曼荼羅」と呼び葬り去った宗門に未来はない
「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん。龍樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり。是全く日蓮が自作にあらず。多宝塔中大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊也。」
日女御前御返事
1、大聖人の自作ならざる大曼荼羅は加工装飾なされるべきではない
2、すりかたぎたる(摺形木)とは現代の手法では写真に他ならない