この「妙荘厳王本事品」はこれまでの『法華経』の各品とはその教えが少し異なっている。それは親子とか夫婦の間で、教えをどのように弘めるかということが説かれているからである。
昔、雲雷音宿王華智如来(うんらいおんしゅくおうけちにょらい)の時のことである。妙荘厳王(みょうしょうごんのう)という王が婆羅門(ばらもん)の法を信じていた。この王には、浄蔵(じょうぞう)・浄眼(じょうげん)という二人の王子があり、この二子は仏の導きによって菩薩道を修し、種々の三昧(さんまい)に通じていた。その時、仏は、妙荘厳王及びその縁の人々を導かんと思い、法華経を説こうとされた。
浄蔵・浄眼の二子は、二人の母である浄徳夫人(じょうとくふじん)と共に、雲雷音王仏(うんらいおんのうぶつ)の所に往詣(おうけい)し、法華経を聞かんとした。しかし、父である妙荘厳王が婆羅門の法に信順してか、浄徳夫人は、王を説得するために正しき法の神変を現すことによって、王が心を開き、仏所に往至することをゆるすであろうと思い、浄蔵・浄眼に神変を現じさせた。
妙荘厳王は大いに歓喜し、母は二子の出家を許した。かくて、浄蔵・浄眼は各三昧に入り、母も三昧を得た。妙荘厳王は群臣眷属(ぐんしんけんぞく)、浄徳夫人は後宮の采女眷属(さいにょけんぞく)、二子は四万二千人とともに、雲雷音王仏の所にもうでた。この時、雲雷音王仏は、妙荘厳王のために法を説いて示教利喜(じきょうりき)させた。王は歓悦し夫妻の首にかけていた数多くの真珠瓔珞(しんじゅようらく)をはずし、仏の上にささげた。すると、その瓔珞は虚空において四柱の宝台に変わったという。
雲雷音王仏は、この時、妙荘厳王が沙羅樹王仏(しゃらじゅおうぶつ)となることを予言した。王はこれによって出家し、長い間、法華経を修行し、さらに一切浄功徳荘厳三昧(いっさいじょうくどくしょうごんさんまい)を得た。妙荘厳王は、自らを顧み、我が二子は善知識(ぜんちしき)となっていたことを悟り、ここに仏は、善知識が親子という現実関係を超えた、大きな大因縁によってもたらされたことを説くのである。そして、その妙荘厳王とは、今の華徳菩薩(けとくぼさつ)であり、その浄徳夫人は今の荘厳相菩薩(しょうごんそうぼさつ)、二子は今の薬王菩薩・薬上菩薩であると言う。
つまり、本品(ほんぽん)の主眼は、教えの体得が現証(げんしょう)と三昧を含んでいること、善知識が時代的倫理観を超えたところにあること、母の存在に注目すること、にあると言える。
日蓮宗修養道場(石川道場)述
親子とか夫婦が互いに教えを説くことは難しい。この「妙荘厳王本事品」では、妙荘厳王という王さまが二人の王子と夫人の感化によって、たいへんな仏法の信者となって、仏法を世に弘めるようになったことを説いたものである。
家庭の信仰というものはたいへんにむずかしい。親が子を諭しても子が親に正論を説いたとしても、なかなか言葉で信仰に導けるものではない。このように家庭のなかで仏法を説くことは容易なことではない。『法華経』が末法の世の中に流布するにあたっては、まず家の中の信仰のあり方が大切であることを「妙荘厳王本事品」は教えてくれる。
浄蔵と浄眼の二人の王子は、母である国王夫人から何とか三人で協力して国王を感化して仏の教えを聴くように仕向けなければならないと言われた。それにはどうしたらよいか。仏の教えは正しい教えであるから是非とも仏に帰依するようにと、口先だけで言ったのでは、父王は絶対に聴いてはくれない。実際に信仰の力を現すしかない。父王の目の前で仏法の不思議さをはっきりと見せれば、父王の考えを変えさせられるかもしれない。そこで二人の王子は、父王の前で数々の神変を現じてみせたのである。
『法華経』の教えにより修行を完成させた国王は、仏のところへ行って申し上げた。
「バラモンの教えを信じていた自分が、二人の子の感化によって、今や仏法の中に生きることができ、仏を見ることができました。この二人の子は、私を仏法に導く善知識(ぜんちしき)であり、心から深く感謝しています」と。
すると仏が妙荘厳王に言われるには、あなたが善知識である二人の王子に遇えたのは、前世から善根(ぜんごん)を積んでいたからであるとおほめになった。さらに世々代々、あなたは善知識に遇うことができると言われた。その未来にも遇うであろう善知識は、よく仏の心を体して教えを説き、あなたを悟りに入らせてくれるであろうといわれた。
国王よ、「善知識はこれ大因縁なり」と仏はお示しになったのである。
最後に仏が大衆にお告げになるには、妙荘厳王とは今の華徳菩薩であり、国王の妻の浄徳夫人とは荘厳相菩薩のことである、と言われた。さらに二人の王子とは今の薬王菩薩と薬上菩薩のことであると。
引用文献 「法華経を読む」 鎌田茂雄先生著