法華経を学ぶ

妙法蓮華経 妙音菩薩品(みょうおんぼさっぽん)第二十四

霊鷲山より東方を照らす
霊鷲山より東方を照らす

はじめに

 釈尊は仏の三十二相のひとつである肉髻(にくけい)と眉間白毫(みけんびゃくごう)から光を放ち、東方の幾千万(いくせんまん)の仏国土を照らしだした。仏教では東方は過去、西方は未来をあらわす。つまり、仏の智慧の光によって過去の仏の世界が明らかになったということを意味している。

妙音菩薩品の大意

 釈尊(しゃくそん)の放たれる光明が諸仏世界を照らすと、その中に宿王智仏(しゅくおうちぶつ)の国が浮かび上がった。そこに種々の三昧(さんまい)に達した妙音菩薩がおり、娑婆世界(しゃばせかい)の釈尊に供養(くよう)したいという。宿王智仏は、二、三の示唆(しさ)を与えこれを許した。

 

 妙音菩薩は三昧の力で霊鷲山上(りょうじゅせんじょう)に現れた。文殊菩薩(もんじゅぼさつ)が釈尊に妙音菩薩の由来を問うたことに対し、釈尊はその威容(いよう)なる様相と過去世(かこせ)の浄業(じょうぎょう)、さらにその使命を文殊・華徳(けとく)の菩薩に告げるのである。

 

 即ち、薬王・妙音の二品(にほん)は清浄なる自らの行い(三昧・さんまい)から法華経の生き方にあう縁と信仰(しんこう)の持続についての示唆を与えたものと言える。

 

日蓮宗修養道場(石川道場)述

 

法華三昧(ほっけざんまい)

 この妙音菩薩はたくさんの仏を供養し、親近(しんごん)し、深い悟りの智慧を完成させて「法華三昧」を得た。経文では、妙幢相(みょうどうそう)三昧、法華三昧、浄徳(じょうとく)三昧など、十六の三昧が説かれているが、それは一言で云えば「法華三昧」のことである。三昧というのは、心が一つのものに集中して乱れないことである。

 

 法華三昧とは『法華経』の教えを体得しようとして心を集中させることである。この法華三昧にはいろいろなやり方があるので、経文では十六の三昧をあげて説明している。

 

 たとえば「解一切衆生語言三昧(げいっさいしゅじょうごごんさんまい)」というのは、あらゆる衆生の言葉が理解できるように心を集中させることである。「神通遊戯三昧(じんつうゆげさんまい)」というのは、神通力によって何ものにもとらわれない自由自在な境地になりきることである。

 

 この十六の三昧のなかの一つでもほんとうに実行できれば、それによって次第に法華三昧に近づくことができる。

 

妙音菩薩の訪問

 釈迦仏の光が浄光荘厳(じょうこうそうごん)世界を照らしだしてきた。妙音菩薩は浄華宿王智仏(じょうけしゅくおうちぶつ)に言われた。

「世尊よ、自分は娑婆世界(しゃばせかい)へ行って、あの苦しみに満ちた娑婆世界で教えを弘めている釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を供養しお礼を申しあげたい。さらに釈迦牟尼仏の教化(きょうけ)を助けておられる、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、薬王菩薩(やくおう)、勇施菩薩(ゆうせ)、宿王華菩薩(しゅくおうけ)、上行意菩薩(じょうぎょうい)、荘厳王菩薩(しょうごんおう)、薬上菩薩(やくじょう)たちにもお目にかかってお礼を申し上げたい」と。

 

 この妙音菩薩に対して浄華宿王智仏はお答えになった。

「それはよいが、しかし娑婆世界はよごれた、きたない世界だからと軽んじてはいけない。そこは高低があって平らかでなく、土や石や山があり、汚れが一杯である。仏の身も菩薩の身もたいへんに小さい。ところがお前さんの身は大きく、自分の身はもっと大きい。その上お前さんの身は清らかで姿も美しく光もあたりを照らしだしている。自分やお前さんに比べて娑婆世界の仏や菩薩は、見劣りがするけれども、決してあなどったり馬鹿にしてはならない」と。

 

 娑婆世界の仏も菩薩も小さいのは何故であろうか。仏の身体は無量無限であるが、それが娑婆世界に現れると身が小さいというのは、娑婆世界に住むわれわれ人間が小さいからである。身体も智慧もみな矮小(わいしょう)なのである。この矮小な衆生にあわせて身を小さくされたのである。

 

三十四身を現ず

 釈尊は妙音菩薩の過去世について語り始めた。ずっと昔に雲雷音王(うんらいおんおう)という仏がいた。その国は「現一切世間(げんいっさいせけん)」という国であり、この仏が世に現れた時代は「喜見(きけん)」という時代であった。妙音菩薩は七宝の鉢をはじめとしていろいろな物をもって雲雷音王仏に供養した。この因縁によって今は浄華宿王智仏の国に生れて、このような神通力をおもちになるようになった。

 

 この妙音菩薩は前世からたくさんの仏を供養したり、親近したりして、仏に成る徳を長い間かかって植えつけてきたのである。かくしてその神通力によって娑婆世界までにも姿を現し、今こうして霊鷲山で釈尊が『法華経』を説いているのを聴こうとしているのである。この菩薩はたった一人と考えてはならない。

 

 というのは妙音菩薩の神通力によれば種々の身を現ずることができ、いたるところに身を現し教えを説くことができるからである。梵王(ぼんのう)、帝釈(たいしゃく)、自在天(じざいてん)など三十四身に現じて教えを説くことができる。そして相手がどんな境遇にいても必ずそこへ行って救ってやる。

 

 地獄で苦しんでいる者、餓鬼道におちて食べることができない者、畜生道の中で畜生になりはてている者などをみな救うことができるのである。妙音菩薩はありとあらゆる人々に身を現じて、この娑婆世界の中で人々のために『法華経』の教えを説いたのである。

現一切色身三昧(げんいっさいしきしんざんまい)

 あまりに素晴らしい妙音菩薩のはたらきを見た華徳菩薩(けとくぼさつ)は、釈尊にこの菩薩はどんな三昧(さんまい)に入ってこのようなはたらきが出来るのかを尋ねた。釈尊がお答えになるには、その三昧は「現一切色身」という三昧である、と言われた。

 

 釈尊が妙音菩薩のことをお説きになると、妙音菩薩と一緒に来た八万四千の菩薩もみな現一切色身三昧を得ることができた。妙音菩薩と同じようにあらゆる人々をどんな環境の中にも飛び込んで行って救おうと決心したのである。

 

 最後に妙音菩薩は本国に帰り浄華宿王智仏のところへ行き、娑婆世界において釈迦牟尼仏に会い、多宝仏塔を見たり、文殊菩薩たちに会ってきたことを漏れなく報告した。釈尊がこの「妙音菩薩品」をお説きになると、華徳菩薩も法華三昧を得ることができた。

 

引用文献 「法華経を読む」  鎌田茂雄先生著