③一大事因縁(その弐)

 あのインドが浄土であった。当然毎日が休日、予定は未定で自主自由。時間の制限はなくある意味永遠。疲れたら昼寝をする。朝夕の太陽と大地は限りなく美しい。当に常楽我浄の理想の世界なのである。そして何より心の支えとなったのが、セミナーで聞いた2つの言葉。「すべては神である」そして「起こることはすべて素晴らしい」という事象の受け止め方であった。

 

 11月11日に釈尊涅槃の聖地クシナガラを訪れた。そこで目にしたのが本化妙宗の題目塔である。本化妙宗は明治時代の田中智學居士が始めた国柱会の流れで、弟子の山川智應博士が中心の日蓮門下の宗派である。このことが後に本門本尊論として繋がってくる。

 

 釈尊成道の聖地ブッダガヤではインド人のチャクラバティ氏との出会いが、その後単身5度にわたるブッダガヤ訪問のきっかけとなった。ちなみに彼の姓の「チャクラバティ」は転輪王という意味である。そして、90日間のインドから帰国の飛行機で一緒になった舞踊家の佐藤亜紀氏との出会いは、後の「扉の向こう」という舞台公演の打ち合わせの為のニューヨーク訪問の縁となった。全ては繋がっているのである。

 

 1988年の1月に帰国をし、師父の下で出家得度。修行の為に池上本門寺で2年間の随身修行をすることになった。2年目に本山の貫首様からインドの佐々木鳳定上人のお手伝いに派遣されるお話があったが、師父の遷化という状況の中で断念した。日蓮宗の僧侶となる為に自分で眞一を一眞と改め5年後に現在の龍泉寺の住職として入寺することになったのである。 

 

 35歳から住職として29年、今年の10月で満65歳となる。一大事因縁の使命を果たすのに残された時間は決して長くはない。一昨年コロナの流行でインド渡航を閉ざされ、次はいつ頃になるかわからないが、本門戒壇の布石を置くために渡印の日を待つ。

 

※写真はアジャンタ遺跡の開門を待つ間、遠足で来た子供たちに囲まれて