当山は天正八年(1580)、円教院日仁上人開山、龍泉院浄源日應居士(河上孫左衛門)開基檀越として草創され、文禄四年(1595)に最初の本堂が建立された。
文化二年(1805)に入山した第十五世本壽院日性上人により本堂並びに諸堂の再建がなされ、事業完成の文化十一年、浜田に来ていた画家・玉置荊窓により釈尊涅槃図が描かれた。当山の寺宝であり浜田市の文化財・日蓮宗の准宗宝に指定されている。
昭和五十六年、日蓮聖人第七百遠忌の年、当山第二十五世本覚院日圭上人により現在の本堂(鉄筋コンクリート二階建て、一階は120畳の大広間)に改築再建され、平成十四年の立教開宗七五〇年に合わせ山門再建、境内整備がなされ現在に至っている。
島根県浜田市は石見神楽の盛んな地である。毎年7月下旬の土曜日の夜に行われる「清正公夏祭り」は境内に舞殿を建て石見神楽を奉納する。
中でも加藤清正公の虎退治の演目は、当山第二十二世の本覚院日要上人が、龍泉寺の清正公大祭の為に浜田の長沢社中に依頼し創作したものであり、昔から浜田の名物の一つとして多くの参拝者で賑わう。
当山には浜田市指定文化財として、江戸時代の画家・玉置荊窓によって描かれた釈尊涅槃図がある。
荊窓は安永九年(1780)に阿波国(徳島県)に生まれ、文化の頃浜田へ来て、家老岡田頼母の庇護を受けた。文政年間には京都の四条派の松村景文に学び、名前を景窓と改めている。文化十一年(1814)の正月に当山第十五世本壽院日性上人の求めにより描き始め、七月に完成されたと記されている。
龍泉寺ではこの度、境内墓地の中央に永代納骨供養廟「あんのん」を建立いたしました。「あんのん」とは法華経如来寿量品第十六の「我が此の土は安穏にして天人常に充満せり」の経文に依ります。「無縁のお墓にならないように、誰もが安心して供養を受けられるお墓が欲しい」そんな檀信徒の皆様の要望に応えられるように発願いたしました。
釈尊成道の聖地、インドのブッダガヤー大塔をモデルにしたお題目の宝塔の前には、二千年以上昔の仏足跡を再現したものをブッダガヤーで制作し、日本に船便で2カ月かけて、たくさんの方の尽力により無事安置されました。
〒697-0026 島根県浜田市田町18-1 日蓮宗 陽光山 龍泉寺
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